天保名主のお館 |
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■場 所 | 鹿沼市油田町 |
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■価 格 | -万/月 |
■広 さ | 母屋:237.19㎡ 蔵:82.64㎡×2 離れ:75.2㎡ 長屋門:107.43㎡ |
【商談中】天保2年に生まれの名主様の邸宅がまるまる借りれます。保存状態があまり良くないため痛みあります。しかし直せないことは無い。お金はかかります。お手間もかかります。ご覚悟も要ります。それでもそれでも、これは何ものにも代え難い。いっちょう、頑張ってみたくなるシロモノです。
- 書院造り。文化財級。敷地広い。
- 要大規模修繕。
いつかきっと、
どこかで、あなたの様な方に出会うであろうと思っていました。
お会いできて嬉しいです。
そんな謝辞が思わず出ました。
天保2年(1831年)築、江戸後期の名家の邸宅です。
※天保時代とは、かの大塩平八郎の乱があった辺りです。
敷地は、約1,000坪。
敷地内に、本宅。離れ。土蔵×2。長屋門。
これら全て大切に使って頂けるのであれば、
お貸しします。
最初にお伝えしておきます。
安いからとか、中途半端な気持ちで見てみたいという方はご遠慮願います。
この雰囲気を、この建物を、
本当に好んでくださる方でないとお任せできませんので、あしからず。
〈物件レポート〉
栃木県鹿沼市油田。
北関東随一の名刹とされる医王寺からも程近い、
のどかな田園風景の広がる地域。
その中で代々、名主と言われてきた家が今回の物件。
まず入口の長屋門、
大規模なこともさることながら、
江戸時代農家では基本許されることが無かった漆喰壁。
きっと特別な階級にいたことを伺わせるには十分な存在感。
賊が侵入しようとしても、この門を見たとたん
「こりゃ無理だ…」
と呟くことでしょう。。
敷地内に入ると東西に蔵が一つずつ。
西土蔵(本蔵)と東土蔵(金物蔵)。
さらに以前は著名な書家の方がお住まいになられていた涼屋(離れ)。
…もうね、
歴史的価値とか、建物自体の魅力とか、色々グルグル考えて、
結果、口から出た言葉は、
一言、「凄い…」
自分の語彙力の無さを嘆きます。
付随した建物だけでお腹が一杯になりそうですが、
ここからがメインディッシュ。
敷地のほぼ中央に建ち、
その昔、勝海舟や安田善次郎も来訪したと伝えられる本宅。
2階建ての書院造りの母屋に平屋の奥座敷を付けた構造。
お殿様や、お大臣様を泊める奥座敷は、
庭の四季が楽しめる様に池があり、広葉樹等が植えられつつも、
敷地内からの目線が届かない様に板塀でグルリと囲まれていて、
特別な配慮が感じ取れます。
そして本宅の中でも特筆すべきは2階の構造。
家主の部屋を上座とし、他の部屋は身分により、
家人の部屋→使用人の部屋と階段状に下がって造られています。
江戸時代の典型的な武士の邸宅の書院造り。
日常生活と、主に接客が執り行われ、身分により部屋の使用する人物と用途が特定され、部屋の配列や敷き畳の段差で、上下関係を確認する舞台装置の役割を果たしているのです。
ちなみに一番の上座の家主の部屋は天井高が2m程度と低く、これは客人に扮した賊が刀を振り上げても天井に刺さり、振り下ろせない為の工夫です。
決して床を上げすぎて、天井が近くなった訳ではありません。
ちゃんと計算の上に、日本建築の粋を結集したような、建物になっております。
使い方は
大きすぎて一家族で使おうとしても間違いなく手に余るでしょう。
なので、飲食、家具・雑貨、ギャラリー、宿泊施設等、
複合施設辺りが如何かと…
母屋の一階は飲食で、2階は宿泊場所。
蔵をギャラリーにして、離れで創作活動。
たまに庭でイベントなんかやってもいいでしょうね。
そんなシェアして使ってみてもいいかもしれません。
※注意点として、
現状長らく放置されていたため、1階の一部柱を含め痛みがきています。
水回りは全く使えない状態と言っても過言ではありません。
修繕も数百万単位では足りないでしょう。
それでも、
世が世なら文化財登録されてしかるべきな物件。
地域や社会に守られて、威風堂々とした姿を後世に残すに違いない建物。
そんな建物の最期は今ではない筈。
そんな思いに共感して頂ける方、お待ちしています。
(中村)
どこかで、あなたの様な方に出会うであろうと思っていました。
お会いできて嬉しいです。
そんな謝辞が思わず出ました。
天保2年(1831年)築、江戸後期の名家の邸宅です。
※天保時代とは、かの大塩平八郎の乱があった辺りです。
敷地は、約1,000坪。
敷地内に、本宅。離れ。土蔵×2。長屋門。
これら全て大切に使って頂けるのであれば、
お貸しします。
最初にお伝えしておきます。
安いからとか、中途半端な気持ちで見てみたいという方はご遠慮願います。
この雰囲気を、この建物を、
本当に好んでくださる方でないとお任せできませんので、あしからず。
〈物件レポート〉
栃木県鹿沼市油田。
北関東随一の名刹とされる医王寺からも程近い、
のどかな田園風景の広がる地域。
その中で代々、名主と言われてきた家が今回の物件。
まず入口の長屋門、
大規模なこともさることながら、
江戸時代農家では基本許されることが無かった漆喰壁。
きっと特別な階級にいたことを伺わせるには十分な存在感。
賊が侵入しようとしても、この門を見たとたん
「こりゃ無理だ…」
と呟くことでしょう。。
敷地内に入ると東西に蔵が一つずつ。
西土蔵(本蔵)と東土蔵(金物蔵)。
さらに以前は著名な書家の方がお住まいになられていた涼屋(離れ)。
…もうね、
歴史的価値とか、建物自体の魅力とか、色々グルグル考えて、
結果、口から出た言葉は、
一言、「凄い…」
自分の語彙力の無さを嘆きます。
付随した建物だけでお腹が一杯になりそうですが、
ここからがメインディッシュ。
敷地のほぼ中央に建ち、
その昔、勝海舟や安田善次郎も来訪したと伝えられる本宅。
2階建ての書院造りの母屋に平屋の奥座敷を付けた構造。
お殿様や、お大臣様を泊める奥座敷は、
庭の四季が楽しめる様に池があり、広葉樹等が植えられつつも、
敷地内からの目線が届かない様に板塀でグルリと囲まれていて、
特別な配慮が感じ取れます。
そして本宅の中でも特筆すべきは2階の構造。
家主の部屋を上座とし、他の部屋は身分により、
家人の部屋→使用人の部屋と階段状に下がって造られています。
江戸時代の典型的な武士の邸宅の書院造り。
日常生活と、主に接客が執り行われ、身分により部屋の使用する人物と用途が特定され、部屋の配列や敷き畳の段差で、上下関係を確認する舞台装置の役割を果たしているのです。
ちなみに一番の上座の家主の部屋は天井高が2m程度と低く、これは客人に扮した賊が刀を振り上げても天井に刺さり、振り下ろせない為の工夫です。
決して床を上げすぎて、天井が近くなった訳ではありません。
ちゃんと計算の上に、日本建築の粋を結集したような、建物になっております。
使い方は
大きすぎて一家族で使おうとしても間違いなく手に余るでしょう。
なので、飲食、家具・雑貨、ギャラリー、宿泊施設等、
複合施設辺りが如何かと…
母屋の一階は飲食で、2階は宿泊場所。
蔵をギャラリーにして、離れで創作活動。
たまに庭でイベントなんかやってもいいでしょうね。
そんなシェアして使ってみてもいいかもしれません。
※注意点として、
現状長らく放置されていたため、1階の一部柱を含め痛みがきています。
水回りは全く使えない状態と言っても過言ではありません。
修繕も数百万単位では足りないでしょう。
それでも、
世が世なら文化財登録されてしかるべきな物件。
地域や社会に守られて、威風堂々とした姿を後世に残すに違いない建物。
そんな建物の最期は今ではない筈。
そんな思いに共感して頂ける方、お待ちしています。
(中村)